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東京台東区は谷中から石垣島へ。


by fuutaro58
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雪に思う

今朝早起きしたので(早く起きてしまったので)ミートソースを作って食べ、ついでに明日の夕食用ににんにくハンバーグを作った。この時点でやっと空が白み、窓を開けると一面の雪。そういえば明日が誕生日。誕生日=雪というのは僕にとって定番だけれど、久方ぶりのような気もする。先日天気予報で、関東南部に雪が降るというのは春の兆し、という話を聞いた。であるならば、雪もまんざらもでない。

母の手術が決まった。88歳という高齢でもあり、一時は「このまま……」と考えたが、老人ホームのドクターに「手術はできるのでは」と言われ、腹腔鏡手術ができる先生を紹介された。当初、母は「もう手術はいや」と言っていたが、「このままでものが食べられなくなるよ」と告げると、何とか同意してくれた。もし腹腔鏡手術ができなかったらそれでも拒否していただろう。それにつけても思うのは人間の運ということ。そして”金”。
現代医学は長足の進歩を遂げている。しかし、それに出会えるかどうか、出会えたとしても先立つものがなければ……。人生はどこまで不公平なのだろう。

母は手術が成功してももしかすると寝たきりになってボケが進行するかも。その覚悟をしつつも母の強運と、したたかさを信じている僕である。
# by fuutaro58 | 2011-02-15 12:54
昨今の情報番組を見ると、どうやら”無縁”という言葉が時代のキーワードらしい。
昨夜のNHK「ニュース9」、新聞のラテ欄をそのまま引用すると、「家族がいるのに孤独…”無縁”に苦しむ主婦抜け出す道は」、また同じくNHKの「クローズアップ現代」は「漫画ワンピースに迫る泣ける」。
共通するテーマは無縁に悩む現代人がどこによりどころを求めるのか、ということ。

僕らの時代(’60年代後半から’70年代=といっていいのかどうか)にもそれに類する言葉はあったように思う。「都会の孤独」「コンクリートジャングル」……。それらと”無縁”が中味として同じかどうかはともかく、それらの延長線上に”無縁”が存在するのは間違いない。強いて違いを見つけるとすれば、田舎=有縁社会、都会=無縁社会という二重構造があったことなのかもしれない。
僕などはさしずめ、有縁社会である田舎の息苦しさに耐えかねて都会の孤独を求めに上京してきた口である。当時の僕の心模様を私的に、そして幾分第三者的に写しこんでみると、
『友達がほしい(もちろん恋人も)。でもうまくいかない(=人から疎まれないように気を遣い、時には顔色を伺うようなこともするのだけれど)。だから高校にも行きたくない。かといって敷かれたレールからはみ出す勇気もない。残るのはジレンマと自己嫌悪。そうだ大学は東京にいこう。東京に行けば僕のことなんか知っている人は誰もいない。誰も知らない東京で、嫌な自分を捨てて、新しい僕を作ろう』
’68、受験に失敗したけれど、一人東京に出て浪人生活を始めることになる僕。
予備校の紹介で賄い付きの下宿に入る。浪人生専門の下宿屋だ。北は青森から西は福岡まで、その数6名。まじめな浪人生だったと思う。唯一の楽しみは予備校の試験がある水曜日の午後、新宿に出て小田急ハルクの別館にあった名画座「新宿パレス」で3本だて100円の映画を観ること。
当時の世相は70年安保一色。’68年10月21日。新宿でベトナム戦争粉砕を掲げる学生・労働者による”騒乱”事件が勃発した。怖いもの観たさで群衆の中に紛れ込んでいた僕は、初めて機動隊に追われる怖さを体験し、初めて人に(機動隊)石を投げる。快感!
’69年1月。東大安田講堂。機動隊に叩きのめされる学生。初めて買った14インチのモノクロテレビを食い入るように見つめながら涙をにじませていた。
4月大学入学、6月バリケード封鎖……。いつの間にかヘルメットを被っていた僕。

このころが僕にとって無縁から有縁にシフトが変更された時期だったかもしれない。
漫画「ワンピース」(読んだことはないが)に付随する世界を、現実のものとしてそこに見出していたのかもしれない。
当時僕らのスローガンに「連帯を求めて孤立を恐れず」という言葉があった。
このフレーズに込められた指標は二つ。より重要なのは勿論、『孤立を恐れず』だ。僕にとって生きる指標となったのもそれ。「衆に流されない」「徒党を組まない」→「自立する」。

”無縁”に苦しむ主婦抜け出す道は……同じ悩みを持つ主婦同士が集まって本音を語り、頼り、頼られるコミュニティを作る、ことだったと番組は伝える。
本当にそうなのだろうか。たまには愚痴を言い合う、傷を舐めあう、それもいいだろう。でもそれは問題の本質の解決にはつながらない。何より肝心なのは、家族であるはずの夫と真正面から向き合うこと、そして家族のありようを本質の部分で語り、新たに構築していく以外にない。
彼女たちの無縁の解決策? が垂れ流されるのを見ながら、もうひとつの言葉が思い浮かんだ。
「少衆」の時代、という言葉だ。
20年くらい前だったろうか。もはや大衆は存在しえないという言い回しとともに、アイデンティティの喪失、細分化された趣味世界に群がる人々、ということで、今の「オタク文化」を先取りしたような言葉だった。事の善悪はともかく、彼ら少衆に欠けているのは、異世代、異文化、との交流を決定的に喪失している点だ。そして同時に、個が見えてこない。そもそも「友」とはなんなのだろう。自立した「個」なくしては友も友情も存在しない。「幻想」としての友によりすがる姿をティーンズのころの僕と重ね合わせるのは無理があるだろうか。
「無縁の主婦」「絆=連帯を求めて涙する若者たち」、まずは自分を見つめ、未来の自分のありようを模索することから始めませんか。
# by fuutaro58 | 2011-02-10 13:21
店に新人が入った。男子である。飲食経験あり。ただし料理は×。
昨日はその彼のデビューの日であった。致し方ないこととはいえ、料理に関する問い合わせが数度。

以前会社をやっていた時にもあったことだが、自分ができることが他の人にだってできて当たり前、という感覚が僕にはあるようで、つい声が苛立ってしまう。自省。
それにしても彼のまじめさ、頑張りぶりは評価に値する。
僕は根がいい加減なものだから、ともすれば人にも多くは求めない。面倒くさいのだ。で、「その人なりに」ということで放し飼いにしてしまう。それがはまればその人なりの個性となって反映されるのだが……。
ただし、これができるのはその人なりの素養があることが条件。彼の場合は料理がだめだ、ということもあって、デビュー前に数度の研修を行った。しかしそれはあくまでさわり。1人前というには程遠い。それが分かった上でのデビューだから、こうなることは当然なのだ。僕が彼なら、できるものだけ、と開き直ってそれに甘んじてしまう。問い合わせなどしない。

人は成長過程でいろいろなものを身に着けていく。子供のころは気に入ったものは手当たり次第、そのうち自我に目覚め始めると他人の目を意識して右往左往。流行に追い掛け回され、愚にもつかないプライド、などというものに足を引っ張られる。この過程で内省し、己というものを確立していく方向性を身に着けられればよし、小さな自己に閉じこもってしまうと、鼻持ちならないナルシスト、誇大妄想狂、引きこもり?……、へと転じていく。社会性を持ち得なくなるのだ。徒党を組み、長いものに巻かれ、弱者をないがしろにし、欲望の虜に成り果てるなどというのもその変化形に過ぎない。
簡単に「己というものを確立する」などと言ってしまったが、これは地味で根気のいる作業。さらに「恥をかくことをいとわない」心のタフネスさをも求められる作業である。こうした作業を通じて確立されていく個には、共通する資質がある。謙虚さだ。たとえ相手が子供であってもしっかり話を聞き、真摯に答える。でしゃばりすぎず、かつ自分の意思をはっきり人に伝えることができる。

これから先何があるかわからないけれど、彼とは話し合い、教え、また教えられ、いい関係を作っていきたいと思う。

それにしても寒い。それに輪をかけるように、公私ともせわしない日々が続いています。
ああっ~~! 炬燵にでも閉じこもって鼻提灯でも膨らませていたい。ン……!?
# by fuutaro58 | 2011-02-01 11:33

’77年

「読書」が趣味か? と問われるとどうも違和感がある。”本を読むこと”は生活の一部だし、目や耳の粘膜に記憶されている本能の一部のような気さえするからだ。食物と味蕾が不可分の関係にあるように。

で、趣味が何かと問われれば、ボードゲームと答えるようにしている。囲碁・将棋、マージャン、カードゲーム、バックギャモン……。その種の十種競技があるとすれば、そこそこの線は行っていると(本人は)思っている。
昨夜11時過ぎに一人の男性客が来店した。年のころは40前後とお見受けした。以前にも何度か足を運んでいただいたことのある方で、この数日暇をもてあましていた主(おやじ)にとっては格好の話し相手? の到来。語りかけられるままに四方山話をするうち、話しは将棋の世界に踏み入った。
話を進めるうち、かの方がかなりの消息通と思われたので、私の略歴を語ることにした。
’77年、27歳の時に新しい将棋雑誌の創刊に立ち会ったこと。その雑誌の編集者として、プロ棋士やその周辺の方々の知遇を得たことなど。その中で一人の書き手の消息を知ることとなった。

今福栄。ペンネームである。彼はその時某大手出版社の確か書籍の編修をされていたのだけれど、その傍らノンフィクションのライターとしても活躍されていた。彼と私がどのようないきさつで出合うことになったのかはもはや記憶の彼方にあり、定かではないのだけれど、新宿にあった将棋酒場「リスボン」(店内には将棋板がいく面も備えられてあり、プロ、アマ強豪などが酒を飲みながら将棋を指していた)や、ゴールデン街の名物居酒屋「あぶさん」の隣にあった「黄金時代」(この店で女優の緑魔子さんや石橋蓮司氏をお見受けした)などに連れて行っていただいた覚えがある。
その後何度か酒席をともにさせていただいたが、雑誌そのものがまもなく休刊となってしまったこともあり、いつしか疎遠になってしまった。
言ってみればつかの間の縁(えにし)に過ぎないのだけれど、なぜか氏のことは記憶の底に張り付いていて、その姿が消えることはなかった。
時代背景もあったと思う。当時将棋界はアマ・プロ論争というものがかまびすしく、最後の真剣師と呼ばれた小池重明氏が当時のA 級八段に挑戦し平手で勝利したことなどが棋界のビッグニュースとして流れたような時代だった。今福氏といえば、判官びいきもあったと思うが、アマに対して頑ななプロに対して(プロ野球や相撲の世界もそうだった)アマ強豪の立場に立ち、切歯扼腕しているようなところがあった。
しかしそうした将棋にかける情熱とは別に青年らしい凛々しさ、清々しさを内に秘めた佇まいにほのかな尊敬とあこがれの念を抱いたからのように思われる。

その今福氏が後に閑職に回され、定年後がんを患い亡くなったと聞かされた。
冥福。
その後将棋界は、といえば、当時中学生棋士として脚光を浴びた谷川浩司氏の時代ははるかに過ぎ、テリブルチャイルドと騒がれた羽生、佐藤、森内らも40代にさしかかっている。

当時へっぽこアマチュア二段だった私は60を過ぎ……。誰か将棋、指しませんか。
# by fuutaro58 | 2011-01-24 17:37

再開の弁解

長の御無沙汰でした。日付を繰ってみまするになんと3ヶ月ぶり。これではかみさんの小言もやむなし。
てことで、これからは毎週月曜締め切りということで、頑張ります。どなた様もよろしゅうお引き回しのほど、御願い奉ります。

久しぶりに本の話。
去年暮から読み始めたのが大沢在昌。これまで鮫シリーズだけは欠かさず読んでいたのですが、他の作品はいくつか読んで、あまりの劇画チックな文体、構成にうんざり? パスしていたのである。
それがたまたま図書館で手にした「らんぼう」なるコメディタッチのハードボイルド? のおもしろぶりに(表紙&巻末漫画にあの「毎日母さん」の作者が登場)驚天動地、本末転倒? 一気に読み進めている次第です。

それと同時進行で読んでいるのが、「波王の秋(とき)」←「絶海にあらず」の北方(ほっぽう)さんの日本古代史もの。「三国志」に始まる中国古代史ものをほぼ読みつくしたところで、日本に空間を移動させてみたのだが、まずまず。この人は専門家の多い江戸時代より、スケール感があって、想像力の駆使できる古代、中世の作品のほうがテーマとしてあっているように思われます。

いずれにしても、暇な客待ち時間を潰すにはうってつけ。ということで重宝させてもらっています。(暇潰しを潰しに皆様、お越しください。トホホ)

それにしても寒い。店備え付けのヒーターだけでは足りず、調理用コンロでも暖を取る始末。店先の梅子の花、そして桜ちゃんを早く見てみたいものです。
# by fuutaro58 | 2011-01-17 12:56