春琴抄の世界

昨日の続きである。

で、この3冊。無論何の脈絡もなく、ただ手元にあったものを読み飛ばしただけなのだが、振り返ってみるに、たった一つだけ共通項がある。それは不可思議なるもの(女)に対する男(自分)の戸惑いである。

春琴抄。9歳で盲いた、鵙屋琴に全身全霊を持って使える鵙屋の丁稚佐助(後の温井検校)。そもそもは三味線の師匠、春松検校の元に琴が通う際、文字通り手曳きする役をおおせつかったところから始まるのだが、湯殿で身体を洗い流すことから、下の始末まで佐助は琴の世話を一手に引き受ける。仕舞いに自らの黒目を突いて、盲目になるのだが、驚くのは二人の間に出来た子供すべてを里子に出してしまうことだ。
身分違いの男との縁組など一顧だにしない琴には、子供の存在など、あってなきがごとし。佐助もまた、そうした琴のありようそのものをすべて受け入れ、琴の一部として自らを同化する。

以前、つかこうへい原作の映画「寝盗られ宗助」を観て、主演の原田芳雄さんにインタビューしたことがある。
この日の話題の中心は「男のマゾヒズム」についてだった。
主人公の宗助は旅回り一座の座長。無類のお人よし(?)で、身を削ってでも大切なものに捧げてしまうような男(劇団員に自分の腎臓を提供したり)。彼には可愛い恋女房(藤谷美和子)がいるのだが、一種の恋愛中毒で、ちょっといい男にはすぐ岡惚れしてしまい、駆け落ちしたりする。そのときの宗助の言い草が振るっている。「また帰っておいでよ」だ。そのとおり、彼女は男に飽きると宗助の元に戻ってくるのだが、性懲りもなく、何度も同じことを繰り返す、というわけだ。
このインタビューで私が何を話し、芳雄さんがどう答えたか、今となっては定かではないけれど、要するに恋愛は必ず行き詰るときがやってくる。それは結婚という日常の中に埋没するのが一般的だが、それでなければ袂を分かつ、というのが通り相場。しかるに、それを潔しとせず、恋愛という非日常を永続させようとすればどうしたらいいのか。つか流の答えのひとつが宗助の生き様、というわけだ。
ポランスキーの映画に「赤い航海」という作品がある。この映画では主人公の大学教授とその若い教え子は恋愛の果てに薬、SM、などに手を出し、挙句の果てに自殺する。まあ、これが最も一般的な落としどころだと思うのだが、それを敢えてもう一歩踏み込んだのがつかであり、谷崎だったのではないのか。

男がひとつの恋愛を生涯のものとして、慈しむにはそれほどの覚悟がいる。
然るに女性にとってのそれはいかばかりのものなのだろう?
(つづく)
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by fuutaro58 | 2009-03-28 13:30