婚期

最近連れ合いが時代小説に嵌ってしまったおかげで、そのお下がりを読み耽ることになってしまいました。
僕は20代後半から30代前半まで、某雑誌社の編集部に籍を置き、将棋雑誌、つりの雑誌などを転々としましたが、一番長く関ずらわったのは小説誌。
官能小説主体のエンタテイメント誌なのですが、もちろん時代小説もあり、おかげで、多少なり語彙が増え、その意味では貴重な経験だったと思うのですが、それはあくまで仕事、ということで、プライベートでは洋の東西を問わず、冒険小説、推理小説などをもっぱら乱読していたのです。
で、時代小説といえば年数冊、池波正太郎などを思い出したように手に取るような程度。それがいきなり洪水のように次から次へとやってくる江戸話を読み始めることになって……。

宮部みゆき、宇江佐真理、諸田玲子、松井今朝子……。もっぱら女流ばかり、それも連作短編主体なのですが、江戸情緒の中に細やかな人情が描き込まれ、現代という時代が失ってしまった人々の心のつながりのあれこれに思わず知らず引き込まれているような次第です。

そしてそれらあれこれの中で透けて見える時代の様相にも目が行くようになりました。
たとえばあふれる”死”。
現代日本に生きる僕らは日々進化する医療技術のおかげで、かつてはいくつもあった死の病から逃れることが出来るようになり、死はもはや日常ではなく、少なくとも可視的には非日常の世界に埋没(?)してしまいました。そのことが若者にとってバーチャルな死、非現実世界との交錯を生み出し、それによってもたらされる数々の事件が社会問題として現実化しているのは皮肉の極み、ともいえますが。

今ひとつが婚期。結婚年齢です。二十歳過ぎれば年増、二十四、五にもなれば大年増。
十五、六から次々に嫁ぎ始め、十九にもなれば、そうちょうど今の時代、三十が婚期の分水嶺であるように親は娘の行く末にやきもきせざるをえません。
翻って生物学的、生理学的に考えれば、おそらく二百年前の世相のほうが理にかなっているように思えますが、それも時代のなせる業。

今の時代、価値観が多様化し、女性が生きるうえでの選択肢が広まっているのはもちろんすばらしいことなのですが、子をなす、ということに対するモラトリアムであるとしたら……。
子をなす、それは現代にあっても人生最高の喜びに間違いはないのですから。
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by fuutaro58 | 2009-02-12 17:34