縁、そして幻想としての友

昨今の情報番組を見ると、どうやら”無縁”という言葉が時代のキーワードらしい。
昨夜のNHK「ニュース9」、新聞のラテ欄をそのまま引用すると、「家族がいるのに孤独…”無縁”に苦しむ主婦抜け出す道は」、また同じくNHKの「クローズアップ現代」は「漫画ワンピースに迫る泣ける」。
共通するテーマは無縁に悩む現代人がどこによりどころを求めるのか、ということ。

僕らの時代(’60年代後半から’70年代=といっていいのかどうか)にもそれに類する言葉はあったように思う。「都会の孤独」「コンクリートジャングル」……。それらと”無縁”が中味として同じかどうかはともかく、それらの延長線上に”無縁”が存在するのは間違いない。強いて違いを見つけるとすれば、田舎=有縁社会、都会=無縁社会という二重構造があったことなのかもしれない。
僕などはさしずめ、有縁社会である田舎の息苦しさに耐えかねて都会の孤独を求めに上京してきた口である。当時の僕の心模様を私的に、そして幾分第三者的に写しこんでみると、
『友達がほしい(もちろん恋人も)。でもうまくいかない(=人から疎まれないように気を遣い、時には顔色を伺うようなこともするのだけれど)。だから高校にも行きたくない。かといって敷かれたレールからはみ出す勇気もない。残るのはジレンマと自己嫌悪。そうだ大学は東京にいこう。東京に行けば僕のことなんか知っている人は誰もいない。誰も知らない東京で、嫌な自分を捨てて、新しい僕を作ろう』
’68、受験に失敗したけれど、一人東京に出て浪人生活を始めることになる僕。
予備校の紹介で賄い付きの下宿に入る。浪人生専門の下宿屋だ。北は青森から西は福岡まで、その数6名。まじめな浪人生だったと思う。唯一の楽しみは予備校の試験がある水曜日の午後、新宿に出て小田急ハルクの別館にあった名画座「新宿パレス」で3本だて100円の映画を観ること。
当時の世相は70年安保一色。’68年10月21日。新宿でベトナム戦争粉砕を掲げる学生・労働者による”騒乱”事件が勃発した。怖いもの観たさで群衆の中に紛れ込んでいた僕は、初めて機動隊に追われる怖さを体験し、初めて人に(機動隊)石を投げる。快感!
’69年1月。東大安田講堂。機動隊に叩きのめされる学生。初めて買った14インチのモノクロテレビを食い入るように見つめながら涙をにじませていた。
4月大学入学、6月バリケード封鎖……。いつの間にかヘルメットを被っていた僕。

このころが僕にとって無縁から有縁にシフトが変更された時期だったかもしれない。
漫画「ワンピース」(読んだことはないが)に付随する世界を、現実のものとしてそこに見出していたのかもしれない。
当時僕らのスローガンに「連帯を求めて孤立を恐れず」という言葉があった。
このフレーズに込められた指標は二つ。より重要なのは勿論、『孤立を恐れず』だ。僕にとって生きる指標となったのもそれ。「衆に流されない」「徒党を組まない」→「自立する」。

”無縁”に苦しむ主婦抜け出す道は……同じ悩みを持つ主婦同士が集まって本音を語り、頼り、頼られるコミュニティを作る、ことだったと番組は伝える。
本当にそうなのだろうか。たまには愚痴を言い合う、傷を舐めあう、それもいいだろう。でもそれは問題の本質の解決にはつながらない。何より肝心なのは、家族であるはずの夫と真正面から向き合うこと、そして家族のありようを本質の部分で語り、新たに構築していく以外にない。
彼女たちの無縁の解決策? が垂れ流されるのを見ながら、もうひとつの言葉が思い浮かんだ。
「少衆」の時代、という言葉だ。
20年くらい前だったろうか。もはや大衆は存在しえないという言い回しとともに、アイデンティティの喪失、細分化された趣味世界に群がる人々、ということで、今の「オタク文化」を先取りしたような言葉だった。事の善悪はともかく、彼ら少衆に欠けているのは、異世代、異文化、との交流を決定的に喪失している点だ。そして同時に、個が見えてこない。そもそも「友」とはなんなのだろう。自立した「個」なくしては友も友情も存在しない。「幻想」としての友によりすがる姿をティーンズのころの僕と重ね合わせるのは無理があるだろうか。
「無縁の主婦」「絆=連帯を求めて涙する若者たち」、まずは自分を見つめ、未来の自分のありようを模索することから始めませんか。
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by fuutaro58 | 2011-02-10 13:21