無限大の箱

今朝、うつらうつらしながら考えていた。
人間はそれぞれみんな箱を持っているのではないかと。

箱には大小さまざまあるけれど、肝心なのはそれが無限の箱であること。
「無限の箱」?
そう、無限の箱。
無限の箱だから境界が定かでない。伸びたり縮んだりもする。また人によってその境界の輪郭が割とはっきりしている人と、そうでない人が居る。

たとえば趣味というジャンル。
音楽が好き、本が好き、絵が好き、映画が好き、ギャンブルが好き、酒が好き、女(男)が好き……。
大きく分けてもそんな項目がずらずら並ぶのだけれど、そのジャンルの中でもたとえば音楽なら、クラシックが好き、ジャズが好き、ロックが好き、演歌が好き、ポップスが好き、フォークが好き……。
そうしたものが個人の中で錯綜として組み合わされ、それこそ無限級数的な広がりを見せる。
アインシュタインも真っ青だ。

その逆もいえるのだが、嫌いというのは、好き、とは若干趣が違うような気もする。
好きというのはストレートな表現だけれど(もちろん中には下品な天邪鬼も居るが)、嫌いという負のベクトルが働く時は、往々にして自分が好きというベクトルを何らかの形で否定された時に起こるからだ。

で、先ほど挙げた箱の無限性の態様である。
比較的輪郭のはっきりしている人というのは、この好き、嫌いという態様が明快で、ぶれない、いやぶれにくい人だ。そうでない人、比較的輪郭があいまいな人というのは好き、はあっても嫌い、という区分けをあまりしない。悪く言えば、風見鶏、優柔不断という烙印を押されそうだが、翻ってみるに、対応が柔軟で、差別的ではなく、少なくとも好きではない、という事柄に対しても理解を示そうとする。

僕はといえば、後者だ。後者であろうとしている。

(つづく)
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by fuutaro58 | 2009-11-14 17:16