同窓会

「昭和39年度○○中学校卒業生同窓会のご案内」なる書状が舞い込んだ。
私が無沙汰を決め込んでいたせいもあるが、中学の同窓会のお知らせ、というのは初めて受け取った。
たぶん同級生が今年、あるいは来年早々還暦を迎えた(る)からだろうが、思い出せる顔が(もちろん中学時代の)どれほどあるか頭を捻ってみたが、顔と名前が一致するのは十にも満たない。

時はすべてを忘恩の彼方に押しやってしまったようだ。

最近知り合った知人(女性)が子育てに悩んでいる。子育てといっても20歳になる息子のことだ。いわゆるニートというやつらしいが、彼女に語る言葉がない。結局大人になるには自分の自覚を待つしか致し方ないからだ。彼(息子さん)もそのことは重々承知していると思うが、結局水は低きに流れてしまう。それを押し戻すには、人生をかけた踏ん張りが必要なのだが……。

で、思い当たるのが現代という時代の生きにくさだ。
確かにさまざまな技術、特に医療、食の分野での技術革新が「生きる」という上での生物学的な困難を克服してくれたのだが、それに伴う社会の複雑化が「生きるすべを見つけられない」子供たちを大量生産しているといっても過言ではないだろう。

時代小説を読んでいると(もちろんフィクションではあるが)、その時代、人の死がいかに日常化されていたか、したがって生きるという営為がいかにシンプルに存在したかが垣間見られる。
生きているはずのない人が生き延び、死ぬはずのない人が自ら命を経つ、あるいは犯罪者になってしまう、そんな時代のなせる業に悄然となってしまう。
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by fuutaro58 | 2009-11-12 10:40