東京台東区は谷中から石垣島へ。


by fuutaro58
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発掘?

 明日から初小笠原。だから、というわけではありませんが、尻を叩かれて……。
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 私がいたしております(何か少し嫌〈や〉らしい)店、町人をご存知の方であれば気づかれていた方もいらっしゃるかと思いますが、カウンターの内側、階段(大家が居住する2階から4階に通じる)の出っ張りのところに、初代ママが貼っつけたファッション系の雑誌等の切抜きがあることをご存知だと思います。その一枚がダラ~ンと垂れ下がっていました。何事につけ大雑把な私ではありますが、それでもさすがに気にかかり、ガムテープなどで貼りなおすのですが、翌日にはまたしてもダラ~ン、ということの繰り返し。腹に据えかねたといいますか、癇が立って、先日引っぺがしたのであります。で、それを手にとって見ると、それだけがセルロイドの板に挟んであって、日本髪姿の母、娘、少女と思しき女性の日本画が描いてあります。(それなりに)大切に保存されていたものですから、(何かしらん)と思い、裏をひっくり返して、こ難しい旧漢字をひーこら言いながら解読してみると、これ、なんと日本初のグラフィック雑誌「風俗画報」の第二百八十三号(明治三十七年二月十日発行)の表紙だったのです。

 この雑誌の第一号が発刊されたのは明治二十二年二月一日。くしくも大日本帝国憲法が発布される前日だったとのこと。極端な西洋迎合主義だった鹿鳴館時代から別れを告げ、江戸文化が見直され始めた頃であり、この表紙を描いた画家山本松谷(昇雲)も狩野派の流れを汲んだ画家です。興味をお持ちの方は、今月末ごろまでには、改めて額装して店内に展示するほか、新たに買い求めるなどしたいと思いますのでご高覧あれ。

 しかしそれにしても町人は魔窟? 何が潜んでいるかわかりません。
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# by fuutaro58 | 2012-08-04 15:30

緑陰の影で

 4月30日、5月1日と横浜に行ってきました。今年は桜木町のシネコンで映画を見た後長者町ワシントンホテルにチェックイン(ちなみに料金は二人で4900円)。その後勇躍街に繰り出したのですが、お目当ての居酒屋が見つからない。どうやら店が変わったらしいのですが、なくなったと思っていた店が実はあったりと、ちょっと不完全燃焼気味。二軒目に行った沖縄居酒屋で不愉快な思いをしたことを含め、接客業のありように思いをいたす1日となりました。

 で、本の話です。最近読み進めている作家は葉室麟と池井戸順。お二方とも知ったきっかけは新聞(?)の記事。その後NHK BSのブックレビューなどで紹介されたことで読み始めることになったのですが、紹介された「蜩ノ記」「下町ロケット」はいまだ読むに至っていません。図書館の順番待ちが長すぎてお目当ての本に届かないからです。で、必然的に以前の著作から、ということになるのですが、このままいくと、順番が来る前にその他の著作をすべて読み終えてしまいそう。まあ、それだけ面白いということではあります。
 葉室麟氏は1951年生まれというから僕と同年代。やはり今読み進めている佐々木譲氏が私と同い年なのだけれど、共通しているのは地方在住の作家であるという点。片や福岡、片や札幌という風土が作品の中に香り付けとなって生かされている。
 葉室氏の実質的なデビューは2005年尾形光琳の弟尾形乾山を主人公とした「乾山晩愁」。この短編集では江戸期の作家、絵描きを描いているが、平安時代から江戸期まで、その時代幅の広さが持ち味ともなっている。先日読了した「刀伊入寇」などは藤原氏全盛の道長(紀元千年前後)の時代に道長の甥であった藤原隆家が主人公。刀伊=鬼とは大陸の異民族女真族で契丹=遼に滅ぼされた渤海国の末裔。この刀伊が1019年に日本の対馬壱岐、北九州を襲い、これを迎え撃ったのが隆家である。この時代から約百年後女真の完顔阿骨打(かおるんあくだ)が遼、北宋を破り「金」国を打ち立てるのだが、そのあたりは北方謙三の「楊令伝」に描かれている。またこの時代の少し前、やはり北片謙三が藤原純友を描いた「絶海にあらず」をあわせ読むと時代の景色が薄闇の中から浮き出て見え、中国・朝鮮そして当時の日本を結ぶ東アジア古代史ファンの興を誘うこと間違いなし。

 時代小説が想像力の発露としてのロマンを奏でるとしたら、池井戸潤のそれは現代というカオスの中心に位置する銀行の世界をバックボーンに社会・経済・政治という世界に渦巻く小悪から巨悪を様々な手法でどぎつく彩色して見せてくれる。旧財閥系の自動車会社が引き起こした脱輪事故を追い、製造物責任を問う「空飛ぶタイヤ」、時の総理を始め、野党党首などが馬鹿息子、キンキラ娘と入れ替わってしまうというSFもどきのブラックコメディに仕立て上げた「民王(たみおう)」、1960年代と現代を行きつ戻りつしながら父と息子それぞれの愛と苦悩を描いた「BT63」など、時空を超えて人間の本質に迫ろうとする筆致は読むものの心を揺さぶり続けてやまない。バブル期に入行したという池井戸氏の世代的な感性の矛先は時として僕ら団塊の世代にも鋭く向けられるが、その憤懣を受け止めずば今という時代を生きる責任は果たせまい。

 とまあ、ブックレビューのような書き方をしてしまったが、「読まずに死ねるか」とおっしゃった亡き内藤陳さんの言葉が胸に染みまする。
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# by fuutaro58 | 2012-05-02 13:02

近況報告

 なんと「あけまして」、です。
 書くことに倦んだわけでも、忙しくて……、でもないのですが、生来の怠惰、他に気にかけることがいくつかあり……、です。
 母が昨年のクリスマス、逝去しました。享年89歳。眠るがごとき死で、人がこうありたいと願う死の姿に限りなく近い死に様でした。あわただしい年末での葬式、四十九日の法要、事後のあれこれ、それらもほとんど片付き、今は若干の体調不良(肋間神経痛らしい)をのぞけばおおむね順調。頼もしく愛らしい助っ人が店を手伝ってくれるようになり、まずはほっとしている、という状態で、やっとキーボードの前に座れた次第です。

 近況といえば、生まれて初めてダイエットらしきものに挑戦?をはじめました。2月末に健康診断したところ、HebA1cとやらの値が少し高く、メタボ予備軍と診断されたからです。ちなみに肋骨の痛み(肋間神経痛)に伴う検査で、頚動脈エコー検査、胸部レントゲン、血液検査、心電図そして胸部CT検査を受け、すい臓の脂肪置換(糖尿病の予備軍的症状らしいもの)は指摘されたものの癌などはないことがわかり、なんか得した気分(保険でこれだけの検査を受けられたから)。肋間神経痛については気長に付き合うほかなく、いろいろご心配をかけることもあるかと思いますが、大丈夫ですのでお気遣いなきようお願いします。
 ダイエットに関しては、先日「体組成計」を購入、「計るだけダイエット」を実施するほか、日本酒、ビールなど糖分の多い酒類は控えること、帰宅後の軽食から炭水化物を除きつまみだけにする、というのが自己規制のあらまし。ダイエットという言葉を使うのもおこがましいような内容ですが、まあ、半年で5キロやせようというのが当面の目標です。

 最後に店について御報告をひとつ。先ほど簡単に触れましたが、町人に新しい助っ人が登場し、本当に助かっています。26歳の妙齢のお嬢で、週末の金・土曜のほか日曜日も特に用事等がないときはカウンターに入ってくれますので皆様よろしくお願いします。それからメニューをマイナーチェンジ、また本日のお酒として、少々お高いですが、本当においしいウィスキー(カクテルを含む)、日本酒、焼酎をお出しすることにしました。現在は「シーバスリーガル12年」と「シーバスジンジャー」、それに「醸し人久平次」の純米吟醸をさらに近日「月の中のオールド」をお出しする予定です。これらのこと本来は町人情報にて発信するべき内容ではありますが、この場を拝借して間に合わせてしまいました。平にご容赦を。

 まだまだ書きたいことは山ほどありますが、それは次回(来週)にて。とりあえず今嵌っている本のことどもなどについて書き連ねる予定です。
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# by fuutaro58 | 2012-04-19 12:25

死をみつめて

「死」への想いを初めて形に表したのは二十歳のころのことだったように思う。
 同人誌、というのも恥ずかしいような小冊子に書いた小説のようなもので、タイトルとかも忘れてしまったのだけれど、”死に至る意識の過程”を想像してみようという試みだった。具体的には、ビルの屋上から飛び降りて、地上に激突するわずかコンマ何秒かの時間の中に自分は何を見、何を感じるのか。
 そのころの自分はといえば、バリケードの中に身をおき、生まれて初めて現実的な「自らの死」というものが視界に入ってきたときであり、それに真正面から向きあおうと言う気持ちと、すぐにでも逃げ出してしまいたいという心の揺れの真っ只中にいた。その狭間で、唯一、人がその人生の中で選択でき、かつやり直しのきかない経験である「死」を、「死に至る過程」を、意識化、相対化できないかと妄想したわけだ。
 方法論として浮かんだのは絶対的な死を目前としたコンマ何秒の世界。そしてもうひとつ、緩やかに死に至る過程を自覚的に描く「餓死」の世界(その後IRA(アイルランド共和国軍)の活動家が牢獄でハンガーストライキ→餓死を選んだというニュースが流れたことがある)……。

 それから40年余り。死は形を変えて可視化しつつある。今や秒読み段階に入っている母の死。それに付き添いながら、ふと周りを見ると屍予備軍とも言うべき老いの群れ、「死」の順番待ちをしている人々の群れ……。勿論人はあまねく死に至る過程としての生を生きているわけだが、そこにあるのは「生」の輝きをはるかに凌駕する「死の影」。
 母がこの施設に入居してまだ間がないころ、「お友達を作ったら」という私の呼びかけに無言で下を向いていた。いくらか親しげに彼女に話しかけてくる女性たちがいて、まだまともそうな人たちに見えたのだが、なぜか拒絶する母。やがて、
「合わないから」。
 施設に入居しても化粧を欠かさず、本が読めなくなったと悲しむ母、そうした彼女の精神性が拒絶という形を呼び起こしたのだろうか。
「もう充分過ぎるほど生きたから」。一見「死」を受け入れる態勢が整ったように見える言葉の端から、ここに横溢する死の影を振り払おうとする彼女の生を見たような気がした。
 そして自らもそのとば口に立っていると自覚せざるを得ない自分自身。

 森田芳光氏が亡くなった。調べてみると、僕と誕生日が3週間しか違わない。新作を撮り終えたばかりの「死」。「戦死」という言葉が視界をよぎる。「ブラックレイン」を撮り終えた直後に逝った松田優作とダブって見えるその死。松田もやはり同学年。
 もういまさらという感じの同世代の死ではあるが、自分の「現在」と照らし合わせてみたとき、交錯する思念の中に浮かび上がってきたのが「姥捨て伝説」だった。
 一般には貧しい山村での悲劇と捉えられている姥捨て伝説、しかしあれはもしかしたら松田優作にも森田芳光にもなれない”私”たち(死の順番待ちを拒否する)の唯一の選択肢かもしれないと。その時期を決めるのは自分自身であったとしても。
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# by fuutaro58 | 2011-12-22 12:43
 佐々木譲さんのページを繰っていたらツイッターに、トーマス・ヴィクストロムさんのページで遊んでたらなぜかフェイス・ブックに入ってしまいました。これも縁? 遊んでやってくださいまし。
 ちなみに今嵌っている(嵌りかけている)のが上記のお二人。
 佐々木さんは「鉄騎兵跳んだ」でデビュー、数々の賞もおとりになっている方だけれど、実は読ませていただいたのはほんの少し前から。僕の読書履歴から行けば、……大沢在昌→今野敏を経てたどり着いたもの。これ、勿論日本のハードボイルドの系譜なんだけれど、先のお二人がエンタテインメント度80~90とすれば佐々木さんは60くらいかな。勿論これ、面白くないという意味ではありません。この方の中に内在する思い、というようなものをより強く感じるのです。それは一言で言えば権力あるいは偽善、まやかしなどに対する正真正銘の嫌悪、憎悪なのです。
 もうひとつ彼に特徴的なのは極力実名を登場させるという姿勢。つい昨日読み終えた本(「制服捜査」)の中には谷中天王寺交番で30年奉職された櫻巡査部長が実名で登場しておりました(天王寺交番を舞台にした「警察の血」は大河警察小説とも呼べる力作)。またこれまで定着してきた人物評に反する極めて厳しい指摘も凄い。「武揚伝」は幕末函館五稜郭に立て籠もり薩長連合軍に最後まで抵抗した榎本武揚の伝奇小説ですが、その中で、勝海舟のことを”おしゃべり上手な政治屋”坂本竜馬のことを”勝のメッセンジャーボーイ”、徳川慶喜のことを”狡知に長けた腰抜け”呼ばわりしているのですから、笑いが止まりません。これ単なる罵詈雑言ではないでしょう。それだけきちんとした取材、資料調べをした上での発言(榎本の言葉を借りての)に違いありません。
 さらに特徴的なのはその舞台の裾野の広さ。ハードボイルド・警察小説は言うに及ばず、時代小説、企業小説、盧溝橋事件→「鷲と虎」から第2次世界大戦を描いた3部作→「ベルリン飛行指令」「択捉発緊急電」など、またホラー小説のようなちょっと「えっ!」という感じのものまでその守備範囲はとどまるところを知りません。
 現在図書館から借りているものは10冊。まだまだ彼の著作の3分の2程度ですが、不出来なものがないため、しばらくは心から楽しませてもらえそう。

 トーマス・ヴィクストロムさんを知ったのはNHK BSの「アメージング・ボイス」という番組を通じて。私、正直言ってヘビメタには何の関心もなかったのですが、この歌声には正直圧倒される思いでした。最近目立つファルセットを使った軟弱な日本の歌手とはまったく違うド迫力。私がテレビで見たのは「THERION」(セリオンでいいのかしら)というバンドで歌っていたところですが、今日ユーチューブで改めて見てみると、元はといえば客演していたものが、メインボーカルの座を彼が奪ってしまった感じ。実際、彼以外の男女の歌手とはものが違う。そもそもこの人スウェーデンの国立歌劇団のテノール歌手だそうで、さもありなん、というか、逆にオペラというもの、一度ちゃんと見てみたくなったほどであります。

 しかし世の中は広い、というか浅学な身には”知りたい”ことが山ほどあって死んでなんかいられません、というのが実感。はい。
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# by fuutaro58 | 2011-12-09 13:35