東京台東区は谷中から石垣島へ。


by fuutaro58
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石垣生活そのⅠ

前回の投稿から丸々1年と2ヶ月。
私のブログを楽しんで見てくださる少数の方々、平に平にご容赦。
石垣生活もやっと落ち着いてきましたので、これからは間延びをしない程度に刻苦勉励(死語?)いたしたいと思います。

さてその石垣島での生活ですか、遊びに行くのと、住んでみるのではやはり大違い、ということを実感しています。
たとえばお天気。といっても気候のことを話そうとしているわけではありません(もちろん内地とは大違いですが)。毎日空を眺め、雲の流れを見つめ、風向きを確かめ、ベランダから見えるリーフの際を見て波の高さを計っています。ネットでも毎日何回となく「雨雲ズームレーダー」を開き、雨雲の流れを注視したりしているのです。それは内地に比べて小さな雨雲が数多く発生するものですから、天気が急変しやすく、俗に言う、狐の嫁入り=天気雨もしばしば見かけられます。
今年は(僕が入石垣して以来)台風8号から19号まで、12の台風のうち、8つか9つが日本列島に影響を与えましたが、なぜか八重山は微妙にそれ、そのせいか西表島では水不足で、夜間給水制限が実施され(こんなことはこれまでにないこととか)石垣でも給水制限が実施されるかもしれません。
でも、正直な話、不謹慎な物言いかもしれませんが、僕たちには「ラッキー」という感じ。私自身は過去に伊勢湾台風で避難した経験もありますし、こちらの人たちから沖縄の台風のものすごさを散々聞かされていましたからホッとした、というのが偽りのない感想です。
ただ台風が発生するたびに台風情報と雨雲ズームレーダーに首っきりになり、一喜一憂し、そのついでに実はこちらとフィリピンの距離が鹿児島との距離と大差がないことを発見して、妙な感心の仕方をしたりもしていました。
台風に関してはこんなこともあります。買いだめです。スーパーから食材をはじめ、日用品が消える、とまではいいませんが品薄になります。台風が直撃すると間違いなく停電になり、それが一日二日と続くからです。そうそう、それで思い出しましたが、こちらの人は缶詰のシーチキンが大好きなようで、皆さん箱買いするのです。台風前なんかもちろん……。

石垣生活の続編はまた近々書きますので、お暇な方は見てやってください。
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# by fuutaro58 | 2014-10-31 16:28

掌(たなごころ)

 今日久々にテレビの取材が入った。
 関西テレビ製作(フジテレビ系列)で、土曜日の朝8時から放映される番組の、「ぐっさん(山口 智充)と行くならこんな店」? というコーナー。ゲストは葉加瀬太郎。葉加瀬さんは学生時代、町人によくいらしてくれていたようで、先代のママからもバイオリンを弾いてもらったことがある旨聞いてはいたのだけれど、実際生で聴くことができたのはもうけもの。さらにお土産に最新のCDまでいただき、し・あ・わ・せ。
 最後手が差し伸べられた。握手。大きくてがっしりとして、それでいて柔らかな掌。あの繊細なメロディが紡ぎだされるとは信じられないような。
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# by fuutaro58 | 2013-08-28 16:46

再出会い

 いささか旧聞に属するが、 5月の連休のはざ間をぬって八重山に行った。連休中とあって、泊まるところも行き当たりばったり。でもそれが僕にとって本来のスタイルだから、それで、どうしたというわけではないけれど、そのお陰でしばらくぶりに旅の出会いの楽しさがよみがえった。
東京の私の店と西表島を結ぶ奇跡の出会い。奇跡というのは大げさにしても、ありそうもない縁(えにし)が結ばれたことは事実。初めての黒島、十数年ぶりの宿、その名さえ知らなかった石垣島バンナ公園……。
 きわめて個人的なことであり、ちっぽけな出来事ではあるのだけれど、そうした「感動」の流れが帰ってからも引き続いて、新しい世界の到来への予感が……。ぶっちゃけて言うなら、わくわく感、のようなものが日々の生活の中に漂っているのである。

 7月14、15、16日と神戸に出かけた。それも一人で。
出発間際、連れ合いから声をかけられた。
「久しぶりじゃない、一人で出かけるの」
(ん?)「久しぶりどころじゃないよ。あんたと一緒になってから初めてだよ」
 不安と期待がない混ざったこの気分、度を越すと本当に発熱したりもした(初めてのアメリカ一人旅)、それが舞い戻ってきたのだ。

 最初の日は神戸在住のS君と痛飲。十年ぶり。二件目では彼のたぶん初めての連れ合いとも出会う。少し白髪が増えたが彼の変わらぬ暖かさ。つまらぬ行きがかりにこだわったり、衒いはもういい加減に捨てなければ、と改めて思う。
 二日目は以前店を手伝ってもらっていたY子と再会。東京で生まれた娘ももう3歳。かわいい盛りで、愛らしさがてんこ盛り。
さすがに二日続きの酒とバラの日々は体にこたえたようで、16日、帰郷してすぐに出掛けた銀座での娘もどきたちの個展、それに続く3日連続の飲み会では心底ばててしまった。

 さらに27日には埼玉県の鳩山町まで遠足(?)。 僕の大学時代の友人が主宰するNPO法人の手によるコンサート、「山崎ハコspecialコンサート」を見るためだ。
 これも不思議な縁で、6月末、たまたま自分の妄想の延長線上で、彼女のCDを初めて購入したばかりだった。もちろんハコさんのことは二十代のころから見聞きして知ってはいたのだが、ちゃんと彼女のLP・CDを聞いたこともなく、それどころか曲名すら知らなかったわけだ。それが、CD購入からまもなくコンサートを、それも地の果て、失礼、まあ、普通に考えて、その町に行くことなど一生涯ないと思っていたところまで聴きに行くことになった。そしてさらに、彼女のデビュー当時の曲に関しては印象的ではあるけれど、今となっては小娘の歌(当時十代だった)。それが今の山崎ハコを象徴するかのような、「りんご追分」(美空ひばり)「ざんげの値打ちもない」(北原ミレイ—原曲ではカットされた4番の歌詞も入っている)を熱唱してくれたのである。もちろんそれはカバーではあるのだけれど、完全にハコさんのものとして完成されたものであり、そのブルージーで魂のこめられた曲調には、56歳の円熟した女の姿がはっきりと見て取れる。
 これも間違いなく出会いなのである。再出会い、なんて言葉はないけれど、一皮も二皮も剥けた新しい人と出会うこと、これも縁(えにし)をつないだからこそ生まれたものに間違いはない。

 もう100までで生きるしかないな。
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# by fuutaro58 | 2013-07-31 15:16

妄想の連鎖

ここのところ読み進めているのがサラ・パレッキーの「V ・Iウォーショウスキー」シリーズ。このシリーズ、実は20年ほど前に何冊か読んでいたのを復活させた、という感じ。
主人公のヴィクトリアはポーランド系の移民の子。父親は元シカゴ警察の警官で(故人)母親(故人)はイタリア系。シカゴの貧しい地域に生まれ、苦学してロースクールを卒業。国選弁護人の仕事をしていたが、今はディテクティブ(私立探偵)を開業している。年齢はたぶん現在は60歳過ぎ(昨年出た最新作-シリーズ15作目--を読んでいないので推定だが)。
このシリーズの面白さはなんといっても主人公ヴィクのキャラクターに起因する。その身は決して真っ白ではないのだが(時に家宅侵入など非合法なことも平気でする)、巨悪に対して決してひるまない。そのお陰で毎回毎回、瀕死の重傷を負って奇跡的に生還するというパターンを繰り返すわけだが、その分彼女の私生活を含め、きわめてその生活のありようが精緻に活写されている。貧しく、汚く、無学で、危険な彼女の生まれた界隈にうんざりし、逃げ出しながらも、こと何かあるたびに自己嫌悪に陥りながらも戻ってきて、彼らを踏みにじる巨大な欲望(利権を貪る巨大資本や、権力)と渡り合う。時に歴史を絡めたり(赤狩りで有名なマッカーシー旋風など)民族・宗教関連の問題を追求したり(9・11以降のイスラム教徒に対する故なき迫害など)きわめて現代的な要素を取り上げてそこに内包される現代アメリカの現状を生き生きと描き出す。
本物のリベラル。しかしそれにつき物のひ弱さや、頭でっかちなところはなく(ブルーカラー出身、ということもあって?)、しかも地に足を付けて生きている姿にはらはらどきどきしながらも、どうしようもなく共感してしまうのだ。
決してさらさらと読み進めることができる様な軽い読み物ではないけれど(しかも一作一作が大長編)読み応え十分、ぜひ手に取っていただきたいシリーズだ。

そのヴィクの恋人モレルは戦場ライター。「ハード・タイム」で知り合い、「ビター・メモリー」でアフガン取材に出かけ、「ウィンディ・ストリート」で負傷して帰ってくるのだが、彼のことが頭に浮かんだ瞬間、最近見た「NHKスペシャル 沢木耕太郎推理ドキュメント 運命の一枚 ~”戦場”写真 最大のなぞに挑む」に思いが馳せた。
戦場カメラマンロバート・キャパのスペイン戦争におけるピューリッツァ賞受賞作品「崩れ落ちる兵士」について、ノンフィクション作家沢木耕太郎氏の20年にわたる取材とNHKのCGなど最新技術を駆使した推理で、実はこの写真、彼の近くにいた恋人であり戦場カメラマンのゲルタ・タローが撮影したものではないかという話だ。
そしてまた、アメリカ人写真家ロバート・キャパという存在そのものが実は、ハンガリー人の「アンドレ・フリードマン」とドイツ人女性「ゲルダ・タロー(本名ポホリレ)」が創造した架空の人物ではないかという推理にたどり着く。
そしてまた最近NHKアーカイブスで再放送された「NHK特集 カメラマン サワダの戦争」で取り上げられたベトナム戦争とカメラマン沢田教一の映像へと思いは飛翔する。

「とりとめもない妄想の連鎖を取り上げてどうするのか」と人に問われれば、「埒もないことです」、と言う他ないが、人が生きる時間と空間とはなんだろう、というとりとめもなく、あてどもない自問が胸のうちに去来する。

生と死が背中合わせな時空を自ら選択して日常化された非日常を生きる彼らと私たちの違いといえば、実は「死」に対する、あるいは生に対する思いにいささかの違いがあるに過ぎない。にもかかわらず何がしかの憧憬?を彼ら(ヴィクを含め)に向けてしまうわが心のありようを訝しむ。
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# by fuutaro58 | 2013-04-03 16:20

とりどりの華

 人生は斑(まだら)模様であります。バラの花のように輝いている部分もあれば、水仙のように可憐でけなげな部分も、ぺんぺん草のようにしょぼくれている部分も。しかしそれも光の宛所を変えればまた別の世界が見えてきます。バラにはとげがありますし、水仙は根に猛毒を持っています。かと思えばぺんぺん草は春の七草のひとつ「ナズナ」として重宝されてきました。
 これから本格的な冬に突入しようという今の季節を花に例えれば、福寿草、そして侘助かな。福寿草は別名元日草とも呼ばれ、盆栽にして元日の飾り物とするめでたい花であり、またその根は強心薬として昔から使われてきました。侘助は文字通り侘び・寂びの代名詞であり、粋の極意。椿でありながら、派手さを抑え、そそとした趣が茶人をはじめ、心ある人の心を慰めてきました。
「侘助や障子の内の話し声」(高浜虚子)
 ちなみに侘助は冬の季語でもあります。

 今世の中は選挙一色。というのはマスコミの世界のこと。わけのわからん新党が乱立し、百花繚乱といえば聞こえはいいけれど、その実魑魅魍魎が跋扈し、ワイマール憲法下のドイツ末期の様相になぞらえる向きも少なくないのでは? 今朝の新聞を見ると自民党が単独過半数の勢いだそうで、予想通りのこととはいえ、むなしさがいや増しするばかり。原発反対運動を圧殺してきた張本人、中曽根康弘を長老と、いまだに仰ぎ見る2世総裁安倍晋三のインフレ助長政策、どう感じられますか? 私は経済には疎いのですが、それが特効薬になるとは到底思えません。維新の会? 鼻で笑ってしまいます。失政続きの東京都政を放り投げた石原と橋下の野合、これこそまさにファッショ同盟といわずしてなんと言う。日本未来の党、またぞろ脱落者を出して、落ちぶれる一方の社民を味方にしてそのひ弱さに輪をかけている。十年一日のお題目を唱える共産党など本当に一回解党して、一から出直してみたらいいのに、ヨーロッパ共産党ほどの勇気も覇気もない。
 民主党に関してはこの失敗を糧にしていかに再生できるか、次回以降を見守ってみたい、というのが本音。と、こう書いてくると、結局たかが一票されど一票をささげる政党がどこにもないのに気づく。「ああ無情」……ってどこかがまたぞろ上演するんだっけ。
 国民にとって自らに仏花をささげるような事態にならないよう願うばかりだ。

 花は花でも華。
 一昨日、お気に入りの女子の一人Q子の個展に行ってきました。彫金という世界に自らの表現を求め、その傍ら、専門学校の講師として、また妻として、わが道を行く彼女の世界に触れながら連れ合いの誕生日プレゼントを買ってきました。そのブローチ、実は震災に見舞われた益子焼の傷ついた作品を磨き、アレンジして作ったものとのこと。人知れず、しかし己の進む道の中で自らを全うしようとするその心がうれしい。今はN.Y在住で切り絵画家としてがんばっているF野ちゃん、世界中を一人旅しながらすばらしい絵日記を描き、洗練されたイラストをしたためるUちゃん。なんて素敵な女子が僕の身の回りには多いのだろうと、ひとりひそかに脂下がってしまう。
 その華を手折ることができないわが身の哀しさ、などと言ったらあちこちから石どころか槍が飛んできそうだから、今回はこの辺で。
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# by fuutaro58 | 2012-12-06 14:49