東京台東区は谷中から石垣島へ。


by fuutaro58
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先日CDを見ていたら見慣れぬそれが。
なんと10数年ほど前、沖縄波照間島で知り合ったカップルのCDなのだ。誰が持ってきたのか店の女の子に聞いてみると女性のお客さんの一人だとのこと。何でも彼らのライブが渋谷であり、それに行った彼女が手に入れたものらしい。しかもすぐ近くの店に来て飲んでいったというのだ。
今は疎遠になってしまっていた二人とのことが魔法のランプでも擦ったかのように急速に蘇っていった。

90年代の半ば頃のことだったろうと思う。40代に入って初めての沖縄、それも石垣島に仕事で行って以来彼の地が病みつきになっていた僕は、定宿にしていた西表島を離れ、石垣経由で初めての島、波照間島に向かっていた。それというのも、前年、新宿の行きつけの飲み屋の常連から、波照間島の「泡波Tシャツ」を買ってきてほしいと頼まれたことを思い出したからだ。
その申し出というのは”気分が向いたときに”というきわめておき楽なものであったため、申し出のあった年はすっかり失念していたもの。西表滞在も1週間以上が過ぎ、島に行っても何をするでもない僕ではあるが、さすがに暇に倦んできて、その申し出を思い出したという次第だった。

1時間余りのあまり快適とはいえない船旅を終えて(外洋に出るので波が高い)船が接岸すると、待っていた宿のおばあ(ちなみにけだもと荘という)の車に乗って一路民宿へ。今宵は僕の他建設工事の仕事で泊まるお客さんが独りいるだけ、という話を聞きながら宿帳に記入、早々に目的地に向かった。

そこは島で唯一(当時)のおみやげ物屋で、男性としては初めて内地から移住した人の店だった。
店に入ると船で一緒だった女性と男性が話している。とにもかくにも「泡波Tシャツ」をということで、品定めしていると、客(僕のこと)のことを心配したのだろうか、先客があわただしく腰を上げた。
それから約30分、僕は彼と島らしいゆったりと流れる時間に任せて島情報を含めてさまざまな話を聞かせてもらった。それによれば、彼はこの店の留守番で、今は島の女性と今暮らしているとのこと。以前某フォーク歌手のバックバンドをしていたことなども聞かされた。
そろそろということで腰を上げると、
「今夜は?」
「別に予定はないけれど」
「西浜で宴会やるからこないか?」
嬉しかった。島の流れはそこそこわかっているつもりではいたけれど、初めての島、それも1泊、何もない最果ての島、そもそも観光などは無縁の旅だから、することがあろうはずもない。
「行くよ」
「迎えに行くから」
宿に帰って早々に夕ご飯を食べ、おばあが提供(もちろん無料)してくれた泡波の三合瓶を抱えて部屋に帰り、一人で本を読みながらちびちび飲っているとお呼びの声。表に出るとポンコツの軽トラックが待っていた。
「あと二人ばかり拾っていくから」
荷台に乗った僕に彼の声。
結局二人のうち一人は午後の船便で帰ったらしく、店の先客であった女性と、彼の相方、それに彼女の三線の先生の計5人で西浜に向かい宴が始まった。

この宴は僕の離島体験の中でも一二のすばらしい宴だった。彼のギター、相方と先生の三線。先客の女性の歌(彼女は函館在住のセミプロの歌手だった)。無芸なのは僕だけ。歌い、話し、笑い、ただの観光客であった二人にとって最高の旅の思い出がこうして作られていった。宴が終わったのは朝4時。Tシャツ1枚だった僕はさすがに11月の冷え込みはきつくなり、明朝の再会を約して、お開きとさせてもらったのだ。

それからの数年僕にとって波照間は西表に次ぐ第二の喜びの島となった。彼の家に泊めてもらったり、彼が作ろうとしていた喫茶店(手作りの建物)の完成を見守り……。
しかし……。感情の行き違いもあって、彼らとは次第に縁遠くなり、今ではほろ苦い思い出のひとつとなっている。そんな存在の男とはるか離れた東京でニアミスしたのだ。

出会いと別れ、それが人生だという。悔いは残るものではある。
それにしてもあの宴を演出してくれた彼らとの別れが寂しくないといえば嘘になる。
やんぬるかな風太郎。

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# by fuutaro58 | 2009-03-17 12:29

鰯の頭も……

今年の元旦夫婦そろって根津神社でおみくじを引きました。結果はそろって大吉。
占いのようなものを基本的に信じるタイプではないのですが、それにしても夫婦そろってというのは……、
「こいつぁ春から縁起がいい」なんて思ったとか、思わなかったとか。
ところがその後どうもお互いにいいことどころか、芳しくないことばかり身の回りに起こる。
その最たるものがこのたびの太もも裏臀部周辺痛? 何かにぶつけたとか、ひねったとか、原因らしきものが思い当たらないのである。お医者もはっきり言って?????。答えが出せない。
人間には納得、っていうやつが必要らしく、原因不明っていうのはいたずらに恐怖心、猜疑心、不安、動揺、疑惑……、など引き起こす。「このまま寝たきりになるのでは」、とか、「実は死に至る病の前兆ではないのか」、などなど、馬鹿なことばかりがおつむに去来する。
改善が見られなかった3日目4日目などは明日だめだったら大学病院にでも転院しようかなどなど真剣に考え始めていた。
ところが自分なりにその原因を探り、どうやらPCを扱うとき、いつも左手を肘掛につき、体全体を左に寄りかかる形で作業していたことに原因があるのではと気づき、それを医師に箴言すると「さもありなん」風の回答。
そのせいなのかどうか、その日から急速に体調は右肩上がり。今現在の自己判断によれば95%の回復を見せたのです。
「人間万事塞翁が(丙)馬」なのかどうか、無信心者にこそ自身の気が大事?

と、記したところで気づいた。今日は雛祭り。豆(子)は撒かずに、雛壇に置いて馳走でも進ぜよう。
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# by fuutaro58 | 2009-03-03 17:04

諸事雑感

中川財務・金融担当相の辞任。騒がれてますが、ちょっとかわいそうかな、とも。かく言う私めも飲んべの端くれ。幸いそうした立場にないので、お気楽でありますが……。
それより気になるのはこのニュースのおかげで、クリントン国務長官の来日報道がかすんでしまったこと。
スキャンダリズムにジャーナリズムは勝てない、という現代病の好例といってもよいのでは。

一月前ほどでしたか、吉本隆明氏の姿をNHK教育TVで拝見しました。糸井重里氏がバックアップされている姿が印象に残りました。吉本隆明と言っても若い人には? てなものでしょう。吉本バナナのお父さんといって「そうなの」とびっくりされるくらい。しかし僕ら全共闘世代(あえて団塊の世代ではなく)にとってはその名は死ぬまで忘れられない名前のひとつです。特に昨今では少しばかり頓珍漢な氏の発言もあり、「いまさら~」としたり顔で語るご同輩も多いと思います。しかし、ろれつもうまく回らない中(もともと語ることはうまくなく、だから著作に力を注いだという話もあります)、時間を忘れて若い聴衆に語りかけるその姿に、そのパワーに、その人柄に、恥ずかしながら涙することを禁じえませんでした。
「継続こそ力なり」、陳腐ではありますが、今一度身を引き締め直す思いです。

庄田次郎。いまやフリージャズの世界でもこれほどアグレッシブに活動されている方はそう多くはないと思います。伊豆の自宅でジャズバーを開業される傍ら、しばしば東京はじめ全国各地にジャズ行脚され、ライブハウスはもとより、街頭でも精力的に吹きまくっているムキムキ叔父さんです。
私が経営している居酒屋でも11月以来毎月演奏していただいていて、すでに4回を数えました。その中で気づいたことがいくつかあります。そのひとつが若い女性の追っかけが目立っているということ。聞けば、「ジャズなんてまったく知らなかったし、ましてフリーなんて……。ただ次郎さんの音が好きで」
そこにあるのはジャズがどうのフリーがどうのなんていうたわごとではなく、自分が出会ったものに対する素直な感動なのです。そもそも音楽とは何ぞや? 
「音」。「死」に対するものとして「神」が創造され、人と神を結ぶものとして音=言霊はあったとも言われます。人に内在する不可視な思い、それが音という形(?)として融合され切り結ばれる。
先日の4回目のライブにはたまたま伊豆に流れ、引き寄せられるように庄田さんの店に入ったという芸大の現役の美学生が来店しました。人と人の音を介しての出会い。
狂おしくも豊かな世界がそこには垣間見られます。
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# by fuutaro58 | 2009-02-18 14:11

婚期

最近連れ合いが時代小説に嵌ってしまったおかげで、そのお下がりを読み耽ることになってしまいました。
僕は20代後半から30代前半まで、某雑誌社の編集部に籍を置き、将棋雑誌、つりの雑誌などを転々としましたが、一番長く関ずらわったのは小説誌。
官能小説主体のエンタテイメント誌なのですが、もちろん時代小説もあり、おかげで、多少なり語彙が増え、その意味では貴重な経験だったと思うのですが、それはあくまで仕事、ということで、プライベートでは洋の東西を問わず、冒険小説、推理小説などをもっぱら乱読していたのです。
で、時代小説といえば年数冊、池波正太郎などを思い出したように手に取るような程度。それがいきなり洪水のように次から次へとやってくる江戸話を読み始めることになって……。

宮部みゆき、宇江佐真理、諸田玲子、松井今朝子……。もっぱら女流ばかり、それも連作短編主体なのですが、江戸情緒の中に細やかな人情が描き込まれ、現代という時代が失ってしまった人々の心のつながりのあれこれに思わず知らず引き込まれているような次第です。

そしてそれらあれこれの中で透けて見える時代の様相にも目が行くようになりました。
たとえばあふれる”死”。
現代日本に生きる僕らは日々進化する医療技術のおかげで、かつてはいくつもあった死の病から逃れることが出来るようになり、死はもはや日常ではなく、少なくとも可視的には非日常の世界に埋没(?)してしまいました。そのことが若者にとってバーチャルな死、非現実世界との交錯を生み出し、それによってもたらされる数々の事件が社会問題として現実化しているのは皮肉の極み、ともいえますが。

今ひとつが婚期。結婚年齢です。二十歳過ぎれば年増、二十四、五にもなれば大年増。
十五、六から次々に嫁ぎ始め、十九にもなれば、そうちょうど今の時代、三十が婚期の分水嶺であるように親は娘の行く末にやきもきせざるをえません。
翻って生物学的、生理学的に考えれば、おそらく二百年前の世相のほうが理にかなっているように思えますが、それも時代のなせる業。

今の時代、価値観が多様化し、女性が生きるうえでの選択肢が広まっているのはもちろんすばらしいことなのですが、子をなす、ということに対するモラトリアムであるとしたら……。
子をなす、それは現代にあっても人生最高の喜びに間違いはないのですから。
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# by fuutaro58 | 2009-02-12 17:34

さといもと蒟蒻

「タイトル何にする」
「…………じゃがいもとこんにゃく」
「さといものほうがごろがいいんじゃない?」
「それだ」

僕は基本的にネバネバ系が好きです。納豆以外は。
食味にもいろいろありますが、昭和25年生まれ、愛知県の三河地方の海沿いの町で育った僕は、薄味、辛味好き、ネバネバ好き、が基本。で、同じイモ類でも、パサパサして甘ったるいさつまいもやジャガイモより、さといも、山芋(特にめったに食べられませんが自然薯)が大好きです。

さといもは煮っ転がしにしたり、子吹き芋にして酒の肴として食するのももちろん好きですが、一番はなんといっても鍋。山形や秋田の芋煮あるいはけんちん汁も大好物。でも子供のころから親しんだおでんの具材としてのさといもが一番の好物です。
かつて、おでんの具材としてさといもは一般的らしかったのですが、最近はトンと見かけません。味が淡白なこと、大根のようには出汁が染み込みやすくないから、というのは私見で、本当のところはわかりません。そんなことはともかく、頬張った口の中で、ほっこり滑らか、ほのかな素材の甘みと、うっすらと醤油を乗せた出汁の風味が絡まった食感は抜群です。

しかして蒟蒻。なんといってもあのツルリンとした食感がたまらない。海育ちの僕にはいまだに蒟蒻が芋なのだという実感がわかないのですが、煮こごりなど寒天質の食材と共通する質感がカ・イ・カ・ンなのです。

とまあ、いもに関する嗜好を書き連ねたわけですが、何でそれがタイトルかと問われても、
「私にもわかりかねます」です。はい。
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# by fuutaro58 | 2009-02-10 12:07