東京台東区は谷中から石垣島へ。


by fuutaro58
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理不尽

今日こそ完全休養日にしようと思っていたのに、また仕事をしてしまった。
まず谷中銀座に行ってトイレットペーパー(228円)と緑のたぬき(一個88円を2個)を購入。それからサミットに回ってセロリ(=ソフリット用の具材、90円)とアサリ(100g98円、ちなみにこれ以上安いアサリは粒が小さすぎたり、中味がスカだったりすることが多い)、それから赤札堂に行って、デルモンテのトマトケチャップ(800g155g円)を買って戻ってきた。
はっきり言って、その辺の主婦とは出来が違う、つもり!?。
しかし、だ。ちょっと病的になってきたような気もする。
1円でも安くて良いものを、という志向パターンは健全なもの、とは思うけれど、時に商品の付け値とレジの値段が違っていたりして、わずか10円のために10分以上待たされ、カッカしたりしている自分がひどく愚かに見えてくる。1円をケチって、1000円損をするという回路からはなかなか抜け出せないようだ。

で、帰ってきてから風呂に入った。
文庫本を片手に。
で、髭を剃る。
左手に文庫本を持ち、シェービングクリームの缶を両膝で押さえ、右手で蓋を取り、今度はその右手で缶を持って頬に直接シュワッとクリームを吹きかける。でもって髭剃りを手にして、剃り始める。この間視線は文庫本と右手の作業を見守るため右往左往。なんで左目で本を右目で作業を見るという分担作業が出来ないかと憤慨しながら(以前はさらに口にタバコをくわえながらこれらの一連の動作をしていたのだけれど、さすがに煙に噎せたりして、すべてが台無しになるのでこれはやめたが)……。
断っておくけれど、私は長風呂ではない。一時の入浴時間はせいぜい10分くらいかな?。であるからして、本を持って入浴したとしても、せいぜい見開き2ページを読めるかどうか。しかも右往左往である。頭に入るわけはないのだが、この習慣、何故かやめられない。
連れ合いには本が汚れる、タバコの灰が……、と散々小言を賜るのだが、どうしようもない。彼女の言うこと、ご無理、ごもっとも。であるがゆえに、証拠隠滅を図るも、生来の抜け作ゆえ、すぐぼろが出てしまう。

他人様より多少理が勝っていると自認する小生にあって、この体たらく、この理不尽さ。
ちぇすとう!
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by fuutaro58 | 2009-04-23 12:10

男っぽいという女

昨日、以前時々酒を購入していた目白田中屋へ赴き、洋酒を購入した。
いつも購入している酒屋に注文すると、なんと1080円も値が上がっている。メルマガを送ってもらっている横浜の酒屋のサイトを見ると600円ほど安いけれど、送料などをプラスするとかえって割高になってしまう。
で、思い出したのがかの店。とりあえずネットを見てみたのだけれど、通販はやっていない。値段もわからない。それで電話してみたら、いつもの酒屋よりなんと1300円も安かったのだ。これなら電車代をかけても間違いなく安い。それで久々目白に出かけたわけだ。

行ってびっくり。店はモダンに様変わりしていた。聞けば1階にあった店を地下にし、以前はやっていた食料品の販売を一切やめたのが2年前とのこと。知らなければとてもそこが酒屋さんなどとは思えない。しゃれたブティックでも入っているのかと見まごうインテリアなのだ。
さらに、圧倒的な量の洋酒はマニアには垂涎の的?

いろんな業種で業態の変革を求められているが、酒屋さんなどはその際たるもの。谷中には酒屋が必要以上に?多いけれど、旧態依然とした販売をしていては、とてもコンビニにかなわない。専門店化と、インテリアの革新。目白田中屋などはその見本じゃないかな。今店を新築している日暮里ヤマウチがどんな店になるのか、余談ではあるが楽しみ。

業態と言うか、あり方の変化という意味では昨今の男女関係もそう。
80年代、「結婚しない女」という映画がヒットして、マスコミ的にも面白おかしく取り上げられた。男性雑誌の見出しのつけ方と、女性雑誌のそれが逆転したのもこのころだった。男性誌が異性に媚びるようなタイトルを付けだし、女性誌が自立的な見出しや特集を組むようになったのだ。
それから二十数年、春琴や美納はいまや町にあふれている? 春琴も美納もその時代においては特殊〈時には反社会的〉な存在であったのだが、一見、今やそれが常態となっているのだ。

乃南アサの「女のとなり」はそうした現代女性を同性である著者が優しく、時に皮肉混じりに、はたまた辛らつに観察したエッセイである。描き出されている女性はどれも”ありがち”なタイプ。つまり、自覚的に現代社会や、自分の今を捉えようとしている先進的な”彼女”たちではない。したがって、女性性の本質に近い部分が、現代風にアレンジされて表出しているといってもいいだろう。

僕が中でも強く印象付けられたのが、女性特有のヒステリー傾向。それから横並び感覚、そしてあざとさ。
ヒステリーなんて言葉はここ久しく耳にしていないが、以前は女性の代名詞のように使われていた。要するに感情をコントロールするのが下手で、怒りに〈恥ずかしさに、時に悲しみに、まれには喜びにも〉頭が空っぽになってしまうのだ。そしてわめき散らす、悪態をつく、暴れだす。
想像するに、これは女性の生理的要因と、社会的な立場がなせる技に分類できると思う。前者でいえば、たとえば、一月のうちに病気でもないのに体温が一度も違うなんてこともそのひとつ。0.5度でも体温が上がれば、とても仕事などしていられなくなるようなひ弱な私などにはとても考えられないことだ。女性の中に”気圧系”と呼ばれる人たちがいる。気圧が低くなるととたんに身体に異常をきたすらしい。もちろん私でも天気の日のほうが気分はいい、だからといって……。男性と比べて身体的にか弱く、男性からの性的な暴力に常に危機感を持つ必要に迫られている、ということなどもその中に含められるかもしれない。後者はジェンダー、すなわち性による社会的区別化→差別化が因となる。総じて被害者意識〈防衛本能〉が顕著となるのだ。

横並び感覚。「出るくいは打たれる」というやつだ。変じて、凹んだ〈と思っている〉部分の修復作業にものすごい執念を燃やす。これはもちろん男にだってある性向ではある。しかし、総じて男性性は凹んだ部分はそれとして、凸の部分に活路を見出そうとするものである〈少なくとも大人の男は〉。
女性はこれがなかなか出来ないらしい。いや、それが生きがいとなる傾向さえある。今風な言い方をすれば、男性のプラス思考に対して、女性はマイナス嗜好〈いや、思考〉。はみ出すことが怖いから常に周りに視線を向けているのだ。だからこそあざとくもなろうというもの。
気を利かしたつもりで、もって回った言い方をする。その実ダイレクトに言った場合の反発を恐れての自己保身に過ぎないのだけれど。{だって~」。「私はそんなつもりじゃあ~」。責任のすり替え、というか、容易に非を認めないのも女性に際立つように思える。

「女のとなり」の中で、とりわけ興味深かったのが、「男っぽいの罠」。乃南さん曰く
『一見すると竹を割ったような印象でも、中味は餅をついたようなタイプ。〈中略〉本当にさっぱりしているタイプの女性は、自分が男っぽいか、女らしいかなどということにさえ興味がない。だから、そんなことは口にもしない。』。
まさに、しかりだ。正直、男である私はこういうタイプの女性に会うとげんなりして、屁でもかっぱじきたくなる。あんたの”女”丸見えだよ、と。

女であることを実は丸抱えしながら、外面だけ”男する”女たちにだまされないようにしよう、諸君。いつの時代にも少数だけどいい女は確実に存在するのだから。
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by fuutaro58 | 2009-04-15 15:10

性の無間地獄

今年の桜はいい。
今日も仕入れの買い物がてら、谷中霊園を通ったのだが、例年のようにあっという間に散りきる、って感じではなく、ほぼ無風の中、はらはらと文字通り舞い落ちている。このくらいの感じの中の花見、最高。

それはさておき、前回の(つづく)からはや一週間以上もたってしまった。ひとえに私の無精ゆえ。平にご容赦を。

さて前回は、男のマゾヒズムについて一くさりし、翻って女性は、というところで終わっているが、たまたま今日、mixiの中で、「分散恋愛」っていう本の話が出ていた。
内容をかいつまんで話してみると、かつて幾多の恋愛を経験し、その中で体験した事柄を踏まえて、この本を物した女性は、恋愛における相互依存を廃することで、自立した人生を歩むことを想定読者である妙齢の女性に説いている。
まあ、悩める女性にとってはひとつの指針となるのかもしれないけれど、内容はおおよそ陳腐、というか、一種の人生のhow to本の域を出ない。所詮いかに自分を傷つけないで、人生を楽しく生きるかという、エゴイズムを臆面もなくわめき散らしているだけだからだ。

もちろんすべての女性がこの類のエゴイストだと決め付けるわけではないけれど、女性性の本質〈ここでは多くを語れないが、そのひとつは”産む”性であるということ〉に分け行くと、こうした傾向が、さもありなんと理解できるような気もする。

さて、前出の2冊目の本「宣告」である。加賀乙彦の手による本書は、死刑囚監房とその日々、そして主人公である死刑囚楠本他家雄の姿を追って展開する長編である。文庫本上・中・下巻の上の後半から中の前半にかけては彼の生い立ちと、殺人を犯すまでの経緯が綴られている。ここで私が注目するのは二人の女性の存在だ。一人は他家雄の母。夭折した夫はパスツール研究所に勤めた経験もある学者で、彼女自身も大学の教授をしている。3人の息子はすべてT大(東大?)出身。しかし、であるがゆえに? 3人の兄弟と母の関係には壮絶なるものがあり、他家雄自身も彼女は憎悪の対象だった。
もう一人が恋人であった(ある?)美納。
ここで注目するのは美納。そもそも彼は友人の妹である菊乃に引かれ、彼女も満更ではなかったのだが、菊乃の友人であった美納の奔放さに次第に翻弄されていく。有体に言えば、美納とのセックス、彼女の身体の虜になっていくのである。あたかも時代は戦後闇市の時代。退廃と苛烈な生存競争が渦巻く時代背景はもちろん無視できないが、十代後半という性的に〈精神的にも〉最も不安定な年齢で、一級のエリートである主人公がこのような形で社会から阻害されていく様は、現代に置き換えても十分納得されるものである。
言い換えると、性と愛の狭間。
誤解を恐れずにいえば、男の性の本質はここにあるといってもよいと思う。
私自身自らの二十歳前後を振り返って、そこにあったのは無間地獄とも思しき性への撞着と、付随する愛、という構図だった。その無間地獄から解放されるには安定した性的関係の創出以外なかった。

「宣告」の主人公他家雄もその淵で、美納との結婚という自己救済の道を見つけるのだが、その条件としての就職に、肺結核という阻害要因が現れて失敗すると、坂を転げ落ちるように滅びの道に突き進んでしまう。

若い女にとって男はファッションのひとつ。
若い男にとって女は存在の要。
といったら言い過ぎか。
(つづく)
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by fuutaro58 | 2009-04-09 16:57