東京台東区は谷中から石垣島へ。


by fuutaro58
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春琴抄の世界

昨日の続きである。

で、この3冊。無論何の脈絡もなく、ただ手元にあったものを読み飛ばしただけなのだが、振り返ってみるに、たった一つだけ共通項がある。それは不可思議なるもの(女)に対する男(自分)の戸惑いである。

春琴抄。9歳で盲いた、鵙屋琴に全身全霊を持って使える鵙屋の丁稚佐助(後の温井検校)。そもそもは三味線の師匠、春松検校の元に琴が通う際、文字通り手曳きする役をおおせつかったところから始まるのだが、湯殿で身体を洗い流すことから、下の始末まで佐助は琴の世話を一手に引き受ける。仕舞いに自らの黒目を突いて、盲目になるのだが、驚くのは二人の間に出来た子供すべてを里子に出してしまうことだ。
身分違いの男との縁組など一顧だにしない琴には、子供の存在など、あってなきがごとし。佐助もまた、そうした琴のありようそのものをすべて受け入れ、琴の一部として自らを同化する。

以前、つかこうへい原作の映画「寝盗られ宗助」を観て、主演の原田芳雄さんにインタビューしたことがある。
この日の話題の中心は「男のマゾヒズム」についてだった。
主人公の宗助は旅回り一座の座長。無類のお人よし(?)で、身を削ってでも大切なものに捧げてしまうような男(劇団員に自分の腎臓を提供したり)。彼には可愛い恋女房(藤谷美和子)がいるのだが、一種の恋愛中毒で、ちょっといい男にはすぐ岡惚れしてしまい、駆け落ちしたりする。そのときの宗助の言い草が振るっている。「また帰っておいでよ」だ。そのとおり、彼女は男に飽きると宗助の元に戻ってくるのだが、性懲りもなく、何度も同じことを繰り返す、というわけだ。
このインタビューで私が何を話し、芳雄さんがどう答えたか、今となっては定かではないけれど、要するに恋愛は必ず行き詰るときがやってくる。それは結婚という日常の中に埋没するのが一般的だが、それでなければ袂を分かつ、というのが通り相場。しかるに、それを潔しとせず、恋愛という非日常を永続させようとすればどうしたらいいのか。つか流の答えのひとつが宗助の生き様、というわけだ。
ポランスキーの映画に「赤い航海」という作品がある。この映画では主人公の大学教授とその若い教え子は恋愛の果てに薬、SM、などに手を出し、挙句の果てに自殺する。まあ、これが最も一般的な落としどころだと思うのだが、それを敢えてもう一歩踏み込んだのがつかであり、谷崎だったのではないのか。

男がひとつの恋愛を生涯のものとして、慈しむにはそれほどの覚悟がいる。
然るに女性にとってのそれはいかばかりのものなのだろう?
(つづく)
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by fuutaro58 | 2009-03-28 13:30

ランドク

このところ日々ランドク、ランドク、ランドク。
ランドクとはもちろん乱読なのだけれど、乱が覧であったり、濫であったり、爛であったりしている。ドクも毒であったり、獨であったり、怒苦であったりする。
そもそも僕は多趣味というか、中でもジャズ、ボードゲームには目がなく、読書と合わせてほぼ2~3ヶ月のローテンションで一種のバイオリズムを刻んでいた。それがこの1年間、読書に嵌って平均日に1冊は読みこなしている。テレビが壊れたこと、店が週3日出であることなど、原因はいくつか考えられるが、それにしてもである。読むものは圧倒的に小説が多いのだが、これまでほとんど手にしなかった時代小説に手を染め、ついには古典にも嵌る羽目に。

たとえば昨日。朝から春琴抄を読み始めた。昭和44年発行の学研谷崎潤一郎全集の一冊。値段は当時の価格で680円。ハードカバー、ケース入りの品だ。それをブックオフで105円で手に入れた。
実は僕、近代文学の有名どころ、ほとんど読んでいない。漱石で4冊、鴎外で1冊、藤村で2~3冊。そんなところである。谷崎も卍、痴人の愛くらいで、先日細雪に挑戦するも10ページ足らずでブン投げてしまった。
それが予想以上におもしろかったのだ。でもそれ以上に笑ってしまったのが、読めない文字、知らない語句のあまりの多さだ。句読点の数の少なさにも驚いた。

で、読了後手にしたのは、加賀乙彦の宣告の文庫版の中。これはずいぶん前に読み始めたのだが、途中上の段階で挫折、それがハカがいきはじめたもの。これを5~60ページ読んで、今度は乃南アサのエッセー女のとなり。これは朝までに読み上げた。(続きは明日)
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by fuutaro58 | 2009-03-27 17:33

先日CDを見ていたら見慣れぬそれが。
なんと10数年ほど前、沖縄波照間島で知り合ったカップルのCDなのだ。誰が持ってきたのか店の女の子に聞いてみると女性のお客さんの一人だとのこと。何でも彼らのライブが渋谷であり、それに行った彼女が手に入れたものらしい。しかもすぐ近くの店に来て飲んでいったというのだ。
今は疎遠になってしまっていた二人とのことが魔法のランプでも擦ったかのように急速に蘇っていった。

90年代の半ば頃のことだったろうと思う。40代に入って初めての沖縄、それも石垣島に仕事で行って以来彼の地が病みつきになっていた僕は、定宿にしていた西表島を離れ、石垣経由で初めての島、波照間島に向かっていた。それというのも、前年、新宿の行きつけの飲み屋の常連から、波照間島の「泡波Tシャツ」を買ってきてほしいと頼まれたことを思い出したからだ。
その申し出というのは”気分が向いたときに”というきわめておき楽なものであったため、申し出のあった年はすっかり失念していたもの。西表滞在も1週間以上が過ぎ、島に行っても何をするでもない僕ではあるが、さすがに暇に倦んできて、その申し出を思い出したという次第だった。

1時間余りのあまり快適とはいえない船旅を終えて(外洋に出るので波が高い)船が接岸すると、待っていた宿のおばあ(ちなみにけだもと荘という)の車に乗って一路民宿へ。今宵は僕の他建設工事の仕事で泊まるお客さんが独りいるだけ、という話を聞きながら宿帳に記入、早々に目的地に向かった。

そこは島で唯一(当時)のおみやげ物屋で、男性としては初めて内地から移住した人の店だった。
店に入ると船で一緒だった女性と男性が話している。とにもかくにも「泡波Tシャツ」をということで、品定めしていると、客(僕のこと)のことを心配したのだろうか、先客があわただしく腰を上げた。
それから約30分、僕は彼と島らしいゆったりと流れる時間に任せて島情報を含めてさまざまな話を聞かせてもらった。それによれば、彼はこの店の留守番で、今は島の女性と今暮らしているとのこと。以前某フォーク歌手のバックバンドをしていたことなども聞かされた。
そろそろということで腰を上げると、
「今夜は?」
「別に予定はないけれど」
「西浜で宴会やるからこないか?」
嬉しかった。島の流れはそこそこわかっているつもりではいたけれど、初めての島、それも1泊、何もない最果ての島、そもそも観光などは無縁の旅だから、することがあろうはずもない。
「行くよ」
「迎えに行くから」
宿に帰って早々に夕ご飯を食べ、おばあが提供(もちろん無料)してくれた泡波の三合瓶を抱えて部屋に帰り、一人で本を読みながらちびちび飲っているとお呼びの声。表に出るとポンコツの軽トラックが待っていた。
「あと二人ばかり拾っていくから」
荷台に乗った僕に彼の声。
結局二人のうち一人は午後の船便で帰ったらしく、店の先客であった女性と、彼の相方、それに彼女の三線の先生の計5人で西浜に向かい宴が始まった。

この宴は僕の離島体験の中でも一二のすばらしい宴だった。彼のギター、相方と先生の三線。先客の女性の歌(彼女は函館在住のセミプロの歌手だった)。無芸なのは僕だけ。歌い、話し、笑い、ただの観光客であった二人にとって最高の旅の思い出がこうして作られていった。宴が終わったのは朝4時。Tシャツ1枚だった僕はさすがに11月の冷え込みはきつくなり、明朝の再会を約して、お開きとさせてもらったのだ。

それからの数年僕にとって波照間は西表に次ぐ第二の喜びの島となった。彼の家に泊めてもらったり、彼が作ろうとしていた喫茶店(手作りの建物)の完成を見守り……。
しかし……。感情の行き違いもあって、彼らとは次第に縁遠くなり、今ではほろ苦い思い出のひとつとなっている。そんな存在の男とはるか離れた東京でニアミスしたのだ。

出会いと別れ、それが人生だという。悔いは残るものではある。
それにしてもあの宴を演出してくれた彼らとの別れが寂しくないといえば嘘になる。
やんぬるかな風太郎。

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by fuutaro58 | 2009-03-17 12:29

鰯の頭も……

今年の元旦夫婦そろって根津神社でおみくじを引きました。結果はそろって大吉。
占いのようなものを基本的に信じるタイプではないのですが、それにしても夫婦そろってというのは……、
「こいつぁ春から縁起がいい」なんて思ったとか、思わなかったとか。
ところがその後どうもお互いにいいことどころか、芳しくないことばかり身の回りに起こる。
その最たるものがこのたびの太もも裏臀部周辺痛? 何かにぶつけたとか、ひねったとか、原因らしきものが思い当たらないのである。お医者もはっきり言って?????。答えが出せない。
人間には納得、っていうやつが必要らしく、原因不明っていうのはいたずらに恐怖心、猜疑心、不安、動揺、疑惑……、など引き起こす。「このまま寝たきりになるのでは」、とか、「実は死に至る病の前兆ではないのか」、などなど、馬鹿なことばかりがおつむに去来する。
改善が見られなかった3日目4日目などは明日だめだったら大学病院にでも転院しようかなどなど真剣に考え始めていた。
ところが自分なりにその原因を探り、どうやらPCを扱うとき、いつも左手を肘掛につき、体全体を左に寄りかかる形で作業していたことに原因があるのではと気づき、それを医師に箴言すると「さもありなん」風の回答。
そのせいなのかどうか、その日から急速に体調は右肩上がり。今現在の自己判断によれば95%の回復を見せたのです。
「人間万事塞翁が(丙)馬」なのかどうか、無信心者にこそ自身の気が大事?

と、記したところで気づいた。今日は雛祭り。豆(子)は撒かずに、雛壇に置いて馳走でも進ぜよう。
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by fuutaro58 | 2009-03-03 17:04